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沢田村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
沢田村(近世) 江戸期~明治初年の村名津軽郡田舎庄のうち廃村のため正確な位置は確定できないが,津軽平野の中央部,岩木川と十川の間に位置したと考えられる弘前藩領村高は,「貞享郷村帳」211石余,「貞享4年検地水帳」151石余(田134石余・畑屋敷17石余),「寛保高辻帳」211石余,「天保郷帳」112石余,「旧高旧領」141石余「貞享4年検地水帳」によれば,小字に「宮本・前田」があり,反別は田13町8反余・畑屋敷3町8反余(うち屋敷地2反余),ほかに村中抱えの永荒田がある元禄3年には柏木組に属し,村位は中であったが,享保11年に下となった(平山日記)神社は「安政2年神社書上帳」によれば,八幡宮があるが,のちに高増村鹿島神社の相殿となった(板柳町誌)明治4年弘前県を経て,青森県に所属明治3年知藩事津軽承昭が10町歩以上の耕地所有者に耕地献田買上を論し,これをもとに翌4年には士族の帰農在宅が行われたが,同年当村に帰農を割り当てられた在宅士族は俵子40俵1人であった(同前)明治初年の「国誌」によれば,高増村の項に「旧沢田村云支村ありしか,何の比にか廃村となり,田畑は当村の域に付し,家居はなし」と記されるが,同7年の県管内村名簿には村名が見えることから,明治初年までは存続していたと考えられる村跡は高増村の東にあり,沢田の森と呼ばれる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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